かしまし三人娘で長崎渋い旅行 2

今日、寝てたら一日が終わりました。

驚いたね。

なんか、太るの。
さすがにやばい。

汗かかないのは幼いころからの体質だし。

いやでも、下半身太りが・・・言葉にならないくらい、やばい。
夏だし痩せたい。( ;∀;)

しかも来週健康診断やねん。

色々調べてて思ったのが、基礎代謝が低いってこと。
やはり体質改善しないとね。
そもそも、そんな大食いではないはずなのに。

運動もそうだけど、一日の水分摂取が少ないことに気が付いた。
約3ℓくらい飲むのが良いらしいが
私、仕事ある時は約2ℓ、休日は約1.5ℓかな。
少ないよね。

そりゃ滞留するってもんだよね。

あぁ、痩せよ。


そんなんは置いといて。


DSC_0058.jpg

浦上天主堂行ってきた。

少し雲が暑いので、じめじめした感じ。
この日は汗かきましたよ。

爆心地もほど近い
平和公園がそばにある、カトリック浦上教会。(これが今の名前らしい)

所属信徒は約7千人で、日本最大の教会らしい。すごいね。

P1050953.jpg

色々混ざった感のある遺構

勿論原爆をすぐ近くで浴びてますので、建物は全壊してますが
こうして遺構が残ってます。

飛んでった鐘楼も川のほうにあったらしい。見てない。

そうか、意外に残ってるもんなんだね。
広島のよりも威力が弱いのかな?
広島の場合、ドーム以外何も亡くなったイメージがあるもの。

ここ浦上天主堂も、当日はミサが行われており、
そこにいた方々は全員亡くなられているとのこと。

それはそれは悲惨だったでしょう。

P1050951.jpg

世界の頑張るおじさんシリーズに仲間入り。

でも支えてないから、番外編だね。

この同じやつが下に落っこちてて、古かったから、
きっと原爆の時にもあったやつなんだと思う。


こちらの建物も1956年に復元。


P1050950.jpg

横から入ってみる。

教会って入りにくいよね。
なんか、やりずらい感ある。

海外のは入りやすいけど、日本のはほんと気位が高い。

この入り口入り、すぐ右手には「被爆のマリア」の小聖堂がある。

人がいないので、いくらでも写真は撮れそうだし
現に、一緒になったおじいさんがバシャバシャ写真を撮っていた。

罰当たり目。


ググれば出てくる、有名な「被爆のマリア」

夢に出てきそうなレベルの怖さ。
特に感情が読み取れないお面や、目が空洞になっているものがダメな私は
見続けてられないんだけど

まぁ歴史を学んでいるものとして
3人揃って見に行った来ました。

本来、小聖堂の中には入っていけないらしい。
いや、そんなんどこに書いてあったんだ?

大聖堂へあいさつした後、被爆のマリアに移動。

なんか、しーんとしてるし、誰もいない(写真撮っているおじいさん以外いない)
あと、たぶん係りのおじさんが遠くに一名。

なんて静かな場所なのか。

ミサ以外は入っちゃダメなのか、それもわからない。

入り口に、写真撮影禁止なのは書いてあったけど
脱帽などそんなことだけだったし・・・。

ステンドグラスを斜めに見て、目的のマリアへ。

写真のおっさんが開けて入っていたので
私たちも入って、最前列へ。


と、どうやら、観光客は進入禁止とのこと。


え?


しかし、お祈りをしているのなら大丈夫です。といわれる。


実質、確かに私たちは観光客だ。
それでも、キリスト教系大学出身者で、一応それとなりのことはできる。

私たちはマリアに会いに来たのだし、
浦上天主堂の言う正しいお祈りの仕方がどんなものかはわからないのだけれけど
目の前にいる歴史を知るマリアへ平和の祈りと覚悟を捧げに遥々来た。

といっても、真正面から間近でマリアを見ている以上
観光客の色が強いし、嫌な気分になったので、退散。

大丈夫ですよ、と再度言われたけど
すぐ出ます。と去りました。


私は無宗教だけど、平和への祈りや家族・自然など、すべてに対して感謝と悠久の祈りを捧げている。

一神教ではないので、特定のものに対し、祈りを捧げることは意に反している。
だけど、万物すべてに対しては意に反してない。

だから、日本人ならではで笑われるかもしれないけど
お寺でも神社でもムスクでも教会でも、はたまた海でも山でも、各国でその土地の神々へ
祈りを捧げる教養はあるつもり。

それは自分で歴史を学び、宗教のみじめさを見てきたから
いいとこ取りもあるけど、何も知らないで否定し嫌うことはできないから
こういう見解に至ったわけ。


友人2名も同じ感覚の持ち主だったので
被爆のマリアをなんの気持ちもなしに、冷やかし観光客として見に行ったわけじゃない。

彼女を見たとき、どういう感覚なのか。
どう思うのか、知りたかった。


別に、浦上天主堂のことを否定してるわけじゃないよ。
そりゃ、生きている教会だからある程度は規制が必要。
しかも、遺構として必要なものは来世に残していかなければならない。

やはり、人手が足りないかもしれないが
そこは自由にできるようにさせるのではなく、鍵を閉めたり、
注意書きを設けたり、すべきだと思う。

趣味程度の写真を撮る人が増えるし、
荒らすような人が増えてはならない。
事件が起きてからじゃ遅い。

まぁ、ちょっと色々考えさせられたわけだけど。

祈りってなんなのかな?って思ったね。

お寺って、お金入れる場所がわかりやすく
祈り方も明確。

マナーがあるかもしれないけど、
それをやらなくても、個々人の祈り方ができるので、許容範囲が広いと思うの。

一方、協会はそれがわかりにくい。
昔から、組織や繋がりが強い宗教だから、かなり排他的。
唯一を守るのがこの宗教であるので、そこはかなり強い意志を感じる。
特に日本のキリスト教は豊臣時代の排斥行為の反動がすごいあるので
長崎はやっぱこんな狭いイメージのまんまなんだねと
推測通りだし、がっかりした。


斜めから見てて、変な解釈かもしれないけど
そんな感じ。


嫌なことばかり主張しちゃったけど
間近で見たマリアはな~~んも、なんも感じませんでした。

無です。

悲しみも愛情も憎しみも笑顔も怒りも・・・何もない。

それが原爆投下の代償なんだろうか。

何もなくなるのが、戦争なんでしょうね。


残されたマリアは、小さい。
あ、こんなにも小さいんだね。そう思いました。
(美術室とかにある石膏像の大きさだと思ってた)


目ががらんどうなのは、ガラスの目が入っていたんだって。

なぜ、復元した元の像がないのか
これ不思議なんだけど、たぶん、今のマリアがいいんだろうね。
(商業的に)

スペイン、ゲルニカでの被爆のマリアもいるとのこと。
頭だけそれも残ってるんだって。
なんか対面も果たしたらしい、

やっぱ、瞳が無いがらんどうの被爆のマリアのほうがイメージ強いよね。
世界遺産にするために頑張っているらしい。
やっぱそんなもんか。


P1050954.jpg

この手前のマリアも涙を流すなんて逸話があるんだとか。

奇跡を起こすことで、宗教が成り立つ。

来世主義者ではなく、今世主義者なんだよね。

私は少なくとも、これからの未来が明るくなることを祈り続けるよ。
それは自分の為でもあるし、周りの人々が上手く行き、幸せになってほしいからね。



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