雲隠れ 我が将軍逝く。

24日

仕事から帰宅し、最寄りではない母校の最寄り駅に
雨なので、母に迎えに来てもらった。

車に乗る直前
バッグを持ち替えた際に、スマホをほおり投げてしまい
微妙な段差に激突。
液晶画面とは反対の、裏面が見事バリバリに砕けてしまった。

ガラスだから、繊維状にひび割れて
もう取り返しがつかず。

スマホを落とすことも少ないし、こんな割り方は初めて。
気味が悪いねと。
仕事も大変な一日だったし、占いはかに座最下位。
しゃーないかって。


25日

朝の通勤時に
中学1年の時に担任だった先生を見かける。

なんせ母校はチャリで15分。
2駅ほどの近さ。
乗り換えの大きな駅は先生もみな利用する。

にしても、ずいぶん険しい顔してるな、が第一印象だった。
女性の先生なのに、今思えば悪役買ってでてくれてた人。
よく私たちが険しい顔させてたな~とか思ってた。


その日、17時前
友人からラインが入る。

仕事がら、LINEでの依頼が多いから、目の前に常においてあって
「私も頭が混乱してて・・・・・」と
文字が見える。

ん?


「T先生が昨晩亡くなったって。」






初めて、人はあまりにショッキングな出来事だと息をするのを忘れるんだと思った。

もちろん涙なんて出ない。
わからないんだもん。


だって、2週間前には引率でディズニーランドに行ってて。
インスタには、生徒にティガーやチェシャ猫の被り物させてられて、
その写真嬉しそうに上げてたじゃん。


とりあえず、震える手で
母親、よく遊ぶ5人、その他関わりのある同級生にLINEを。
皆、仕事中だろうに、反応してくれる。

こういう時、LINEはすごいと思う。
皆知ることができるから。


夕方だし、仕事の電話も減り、
最近緩やかになってきた業務量のため、少々暇な時間帯。

声も出せない。
必死で誰かに連絡取らないと、、
こんな思いをするのは初めてで。


普段、起伏の激しくない私なのは、周りも知っていて
それでも様子がおかしいのを隣の席の係長が気づいてくれて
話たいけど、話せないよ。
公の場では泣きたくない。


さすが、現代。
どんどん様々な伝手で、T先生の状況がわかってくる。

亡くなる二日前、お風呂場でくも膜下出血にて倒れ
集中治療室で容体安定、経過観察。
しかし、急変。
合併症の影響で、むなしくも・・・・。

それが、前日の夜だった。


なんせ、まだ身内での葬儀経験が無く
北海道のおじいちゃんが亡くなったのも2歳。
おおばあちゃんがなくなったのも6歳。

身近な死といえば、自分ちのペットくらいだった。

職場では、みんな気にしてくれて
葬儀の日取りは?って聞いてくれて。
あぁ、そんなのするのか・・・・って、行かなきゃいけないよね。

亡くなったんだ。

そんな、まだ50歳前。
これから、母校を引っ張っていく重要な人物だったのに。

とりあえず、日取りもすぐに回ってきて
たまたま公休としてお休みをする日がお通夜。
タイミングがいいです。
ありがたい。

ちゃんと皆でお見送りが出来る。

今、やっとここまで気持ちが整理できてきました。


Facebookに心のうちを書く人とかもいたけど
どうしても、いいねボタンがあるところでは書きたくなくて。

自分のブログなら、
自分のものだし。


まだ、お通夜に行くっていう気持ちができてなくて
行ったら認めなきゃいけない。

でも、喪服も持っていない私は
今回が一揃え揃えるいい機会だし。
今日買ってきました。
みな、買うって。そりゃそうだよね、今まで制服で済んでたし。

今は身内や近親者じゃなきゃ、葬式にもいかないし。

大変な出費だけど、それも一生もの、
まぁ、そんなのはいいんだけどさ。


先生は、私の人生を支えてくれた一番の人だったと思う。

高校一年生、
紹介で舞台に上がってきた彼は、ヤ○ザの組員かと思うようなスーツだった。笑
ルパン三世としばらく心で呼んでた。
(顔怖いし、黒いワイシャツで赤いネクタイだった。笑)

まぁ、その顔とは裏腹に軽妙な言葉とかわいい笑顔の持ち主で
瞬く間に人気になった。
ギャップ!!

とてつもなく・・・学校始まって以来のやんちゃな学年で。笑
(学校始まって以来って・・・もうすぐ創立100年ww)
それもうまく、超上手く放任させながら、手なずけてくれてた先生でした。

大した問題もなく、楽しい1年間であり
人生で一番楽しかった1年だといまだに思ってます。

父親の仕事のことや家庭環境にも詳しく
個人面談や保護者面談の際もちゃんとわきまえて話をする人であり
生徒を大人であり、個人として向き合ってくれる素晴らしい人でした。

私が、こんなに歴史が好きになったのもこの先生のサポートでもある。
なんてったって、面白い授業をする人でね、みな虜でした。

「日本史も知らないで、世界のことは学べないぞ。」

そう言われたから、私も日本史を選択。
受験勉強でもお世話になりました。
長年の蓄積で、受験用に数冊の書き込みテキストを自己作成しており
いまだ、大切にとってあります。

高校1年が終わった時、
「今まで持ってきたクラスの中で一番平凡に、楽しく過ごせたクラスだった」
そう言われたのも覚えてます。
やっぱ、集団行動いろいろありますし、
変なことする生徒もいれば、盗難など変な問題も出てきたり、、不登校とかね。

超絶やんちゃな人間の集まりだったけど
そういう問題は一つも起こらなかったんだよね。
それは先生のおかげです。


2・3年と違う先生が担任だったけど
日本史は先生が担任だったり、講習をとってたりして、仲良くしてました。
あんまり、先生に懐かないタイプの私だったけど
先生には懐いてたと思います。


指定校推薦でさっさと受験を終えた私ですが
大学から課題が出されており
高校にも、卒業論文を提出しなければならない時期がありました。
まぁ、3学期丸々お休みで暇だからね。
勉強無い代わりにね・・・。

そこで、面倒見ててくれたのが先生。

日本史だからね。

大学に入る前に、論文とは何かを教わり
書き方の順序を伝授してくれました。
至極わかりやすかった。
本当に教え上手な人だった。


本当に死んでしまったのか、まだわからないです。


おちゃらけたお酒好きな人だから
ポッと出てくるかもしれない。

だって、まだ一番下の子が小さいじゃん。

私たちが、名前考えてあげたあの子。
まだまだ、パパしなきゃ。


私たちの子供を母校に入れて
日本史教えてあげてよ。



ここ数年、同じ地域に住んでいるのに
まったく会わない。
まぁ、時間違うし。

それが、GWに
母校近くの整骨院にたまたま行って
気分転換にたまたまカラオケに行こうかと悩んで
前を向いたら、T先生が。

「お前、なにやってんだよ」

え~、整骨院来てたの。

「へ~、校舎新しくなったし、たまには顔も見せろ。また来いよ。」

うん、今度行くね~


そういって、別れた。

すっごい久々で、ほんと偶然に出会ったんだけど。
まさか、これが最後だったとは。


働き始めて、何となく、寄り付かなくなって
でも今度行こうと思ってたんだけど・・・約束守れなくて、ごめんね。


でも、偶然にも会えてよかった。
会えてない人は多いからね。


くも膜下出血って怖いと思った。
もともと、数年前に軽い脳梗塞もしていて、入院していたのもあったけど

あの後一気に老けたもんね。

その会えた時にも
一瞬私のことわからない?と不安になるくらいワンテンポ遅かった。
高校時代の先生は言葉のテンポが速かったから・・・
ん?って思ってしまってて
まぁ、おっさんなったし、丸くなったな~?くらいにしか思わなかったけど。



そんなこんなで、普通に生活してても
心が沈んでいます。

いろんな意味で恩師であったから、
本当につらくて。
お通夜行きたくない。


お別れがつらい。


まだ泣けてない。
やだな。



思い出を語るのもつらいけど
とりあえずここで言葉にできてよかったのかもしれない
少し整理がついてきた。


一緒にお酒飲めなかったのは悲しいな。


中世日本史の話、またしてほしかったな~
鎌倉楽しかったよね。
また行きたいな、みんなで。



この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

藤原道長の歌を黒板に書いてたの思い出した。


私たちにとっての望月は雲に隠れてしまったよ。
再び顔は見せてくれないようだ。

人生は思い通りにはいかない

自然に身を任せるしかない
月の満ち欠けも思い通りになんかいかない。


わが恩師 逝く

5.25.2017

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コメント

No title

まりもんぬさんにとっては、高校の恩師との記憶はまだ最近だものね
それこそ、あとからあとからいろんなことを思い出して、悲しみが募っていく
胸が痛いよね
私にとっての高校時代は、もうかなり遠くの記憶となってしまったけど
それでも忘れてしまったと思い込んでいることも、例えば「もう会えなくなってしまった」
という悲しい事実がスイッチとなって、どんどん思い出すことがある
忘れてる事なんて本当なないのかもしれないね

残った人間に出来ることはほんと少ない
ただ、みんなで先生の事をどんどん思い出してその記憶を深いところから掘り起こして
ちょっと磨いてホコリを取って眺める そして大好きだった人だったのならば、なるべく
何度も何度も思い出す もし私が死んだあとに、残った人に何かを望むとしたら
そんなことのような気がする

で、機会があれば残されたご家族にいつか会った時に、生徒だけが知っている
たくさんの素敵な記憶を話してあげたらいいのかな なんて思うな
奥さんや子供達は、そういう記憶を燃料にしてここから先に進まなければならないもんね だとしたら燃料はたくさんあったほうがいい



2017/05/30 (Tue) 16:49 | うにトラ #- | URL | 編集
うにトラさんへ

私立中高一貫校なので、先生が移動することもほぼ少なく、親子2世代で面倒見てもらうことって結構あるんです。
だから、自分の先生も…って思ってたし、学校へ顔を出すのも、この先生がいるからってのもあるし、色々な夢が立たれたようにも感じちゃって。

スイッチが正しくONの状態になってて、日常に影響はないけど、ふと一人の時には考え込んで寂しくなってしまいます。

久々の同窓会のような感じになると思います。時間も夜だから、そのままご飯へいくと思うし、そこで皆で先生の話や思い出を語り合って、お見送りをしてあげたいです。

先生の息子さんにも10年ぶりに会うので、勿論私のことなんて数回しか会ってないし、覚えてないと思うけど、成長を見守りたい。
そして、先生のような人に育ってほしいし、私たちも先生の意思をついで、頑張っていければいいな。

明日はちゃんと見送れるよう、頑張ってきますね。

2017/05/31 (Wed) 09:38 | まりもんぬ #- | URL | 編集

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